Words & Photos By Masanori Nishikawa

前回は、ただがむしゃらに自転車旅をしてきた僕が、子どもたちに旅で出会った世界やひとのことを伝えたいと講演活動をはじめ、世界からテレビ電話で学校の教室をつなぐ授業をとおして、「旅をしごと」として叶えていった道のりを書きました。

今回は僕が、冒険自転車旅に区切りをつけ、コーヒーを振る舞う旅をするようになったお話です。

人生がゴロっと変わってしまう瞬間というものは、なんのお知らせもなく、ある日突然にやってきます。

けれどそれが、これからの人生にとってどんな大切な意味を持つものなのか。はたまた、自分の描いてきた人生をすっかり壊してしまうものなのか。

それにどんな意味を見出し、その出来事を受け入れ、自分の人生の一部として歩んでいくのか。

そのことにこそ、どうしようもない世界、そして人生のなかで、ひとすじの光が宿るのではないか。

そして、知らない土地を、大自然のなかを、あらゆる文化やひと、季節をめぐる自転車旅のなかにこそ、人生における大切な何かがあると、僕は思っています。

ここが拳銃強盗に遭った場所

2016年の北中米自転車旅。

その旅の終着点と決めていたメキシコで、キャンプ中に僕は拳銃強盗に身ぐるみを剥がされ、自転車以外のほぼすべてのものを失いました。

夜中にシュッと何かが切り裂かれる音がして、目を開いたらテントが切り裂かれ、そこには真っ黒な身なりをした2人組がいて。アッと思ったときにはボコボコに殴られていて、ひとりは拳銃を構えていました。

ボコボコに殴られながら、

これはぜったいやり返したらダメなやつだ。
とにかく大きなケガだけしないように、やりすごすしかない。

自分のカラダをかばいながら、僕はどこか冷静に対処を考えていました。

そして、強盗がひととおりモノを掴み取って走っていったのを確認して、僕は街の明かりが見えるほうに走り、目に入ったガソリンスタンドに飛び込んで助けを求めました。

あのとき、もしパニックになっていたら、僕はどうなっていたのか分かりません。

すぐにパトカーがやってきて、僕は保護され、警察署へ。

そこで警察官にケガの状態や持ち物をチェックされ、全財産とスマホやカメラ、そしてパスポートも盗られてしまったことが分かりました。

自転車だけがチェーンでつながれていて、現場に残っていました。

メキシコという国で、僕は何者でもなくなってしまった。

とにかく日本人であること。そして、名前や旅をしていたことを警察官に伝えて。

「日本大使館が開く朝まではどうしようもないから、ここで寝てくれ」

そう小さな部屋に案内され、そこで僕は小さくなって横たわりました。

全国の小学校や中学校で講演をし、世界からビデオ通話で教室をつなぎ、授業を担当するようになり、旅を仕事とするようになってから5年が経っていました。

僕はいつも、講演や授業で出会う子どもたちにこう話してきました。

世界には戦争も、争いや貧困もある。

けれど、そこには自分たちと何も変わらない、愛をもって、大きな笑顔と心で生きているひとたちがいる。

そして僕は、ひとり世界を自転車で旅していたおかげで、ひとりの人間として、そこに生きる人たちに出会い、大切な思いを交わすことができたよ。

だから、世界やひとを、そして自分の可能性を信じて歩んでいこう。

そんなメッセージを日本の子どもたちに届けたくて走っていた北中米自転車旅。その最後の国、メキシコで考え得るいちばん大変なトラブルに遭い、保護された警察署の小さな部屋で横たわりながら、僕の頭にはふたつのことが浮かんでいました。

「どうやって日本まで帰ったらいいんだろう」

「このまま日本に帰ってしまったら、僕が子どもたちに伝えてきたことを、悪い意味で塗り替えることになってしまう。なんとか旅を続ける方法はないだろうか」

翌朝、日本大使館の方と電話でお話しすることができました。

大使館から僕を迎えに来ることはできないこと。
自力で、強盗に遭ったその街から2,000km離れたメキシコシティまで行かなければならないこと。
そこまでたどり着けたら、パスポートを再発行して日本に帰国できること。

そう教わりました。

とにかく、どうやってここからまた先に進めばいいんだろう。

メキシコに向かう前に、アメリカで最後にお世話になった日本人の梶さんという方の顔が浮かびました。

警察にスマホを借り、SNSにログインさせてもらってメッセージを送りました。

そして数時間後、国境を越えて、梶さんは車で僕の身柄を引き受けに来てくださったのです。

彼の顔を見たときには、もうほんとうに救われました。

パスポートを失った僕はもうアメリカには入国できないので、メキシコに住む梶さんの親戚のお家に、一緒に向かうことになりました。

梶さんは、すべてを失った僕のために、足りない服とお金を手渡してくださいました。

親戚のご家族は、すべてを失い、ケガをした僕を抱きしめ、ほんとうにあたたかく迎えてくださいました。

この頃は写真が全くないので別の写真で。

僕は梶さんと親戚のご家族に、このまますべてを失って日本に帰ってしまうのではなく、自転車でメキシコシティまで旅を続け、ひとつの区切りをつけて日本に帰りたいと思っていることをお伝えしました。

そうして自分のなかでひとつの決意をし、パソコンを借りて、日本から応援してくださっているみなさんに、SNSで強盗に遭ったことを報告しました。

そして、それでも自転車でゴールのメキシコシティを目指すことを書いて、投稿しました。

その夜だったでしょうか。

ふたたびパソコンを借りてSNSにログインしたとき、とんでもない数のメッセージ通知が来ていて。

なんだ? と思って、メッセージを開いてみたんです。

そしたらそこには、スペイン語や英語で書かれたメッセージがあふれていました。

「あなたのこと聞いたわ! 何かサポートできることはない?」

「僕たちの国でそんな思いをさせてしまってごめんね! 僕たちの街に来てくれたらサポートできるよ!」

「うちに泊まれるから、メキシコシティへ向かう途中で立ち寄って!」

最初は何がなんだか分からなくて。

けれど、メッセージのなかに日本語のものがあって開いてみたら、それは僕が授業を担当していた福島の友人、つかさくんからでした。

彼の奥さんはメキシコ人で、彼もかつて青年海外協力隊としてメキシコに住んでいました。

彼が僕に起きたこと、そしてサポートのお願いを、スペイン語でメキシコの友人たちに向けてシェアしてくださっていたんです。

そしてそれがさらにシェアされ、たくさんの方々に届き、僕のところにサポートのメッセージが寄せられていたことが分かりました。

僕はもうスマホもないので、メキシコの地図を買い、そこからメキシコシティに向かうまでの道のりを決めました。

そのルート上の街からサポートを申し出てくださった方々の名前と携帯番号を、地図に直接ペンで書き入れて。

保護してくださったご家族に心からの感謝を伝えて、僕はまた自転車で走りはじめました。

つぎの街にたどり着いたら、歩いている方に身振り手振りで地図を指差し、メッセージをくださった方に電話をかけてもらいました。

すると、その家族が迎えに来てくださって、

「さあ、うちにおいで!」と、一緒にお家に向かいます。

足りない服をくださって。
お風呂に入れてくださって。
「カンパを集めたのよ!」とお金をくださって。
お腹いっぱい、ご馳走を振る舞ってくださって。

そうして、「私たちの国で大変な目に遭わせてごめんね! 無事にゴールまでたどり着きますように。 どうかメキシコのこと嫌いにならないでね!」

と、また翌日、僕のことを送り出してくださいました。

そんなことが、毎日のように起こりました。

「これで無事に旅しているよってSNSに更新するんだよ!」

と、スマホを渡してくださった方までいらっしゃいました。

1ヶ月かけてメキシコシティにたどり着き、帰国するまでに、どれだけ多くの方に支援を、励ましの言葉を、愛あるハグをいただいたことか。

それは文字どおり、「生かされる」体験でした。

そうして僕は無事にメキシコシティにたどり着き、日本大使館でパスポートを発行してもらい、日本に帰ってくることができました。

僕が授業を担当した学校へ自転車で向かって、子どもたちに、

「みんな、心配かけてほんとうにごめんね!」と伝えたら、

「世界はたいへんなこともあるけれど、それでも反対に、心あるあたたかな人もたくさんいるって分かりました! おかえりなさい!」

と、子どもたちは笑顔で迎えてくれました。

「たったひとりでも、世界を駆けまわり、旅をすることができるんだよ」

と、自分がその経験をもって伝えてきた年月。

けれどもメキシコで強盗に遭い、文字どおり生かされる体験をした僕が、改めて思ったこと。

それは、「応援してくださる方々がいて、旅先で僕を受け入れてくださる方々がいたからこそ、僕はここまで旅をしてくることができた」ということでした。

そして、直接関係のないことかもしれないのに、「自分たちの国を旅する日本人が大変な目に遭ったから助けよう!」と、ほんとうに多くの方々が手を差し伸べてくださったこと。

それは僕に、「ともに生きること」とは何かという、根本的な人の営みについて考えるきっかけを与えてくれました。

世界を旅してきた僕が、つぎに挑戦してみたいと心に決めたこと。

それは、絆やつながりの意識が薄れてきているといわれる日本において、人と人はつながることができるだろうか、ということでした。

自分の思い描く生き方を叶えることだけではなく、人のつながりにこそ、生きることの豊かさがあるのではないか。

そんなことを考えるようになりました。

そして、人と人がつながるツールとして僕が思いついたことが、コーヒーを淹れて振る舞うことでした。

それを思いついた僕は、それまで旅で乗っていたグラベルロードからカーゴバイクに乗り換え、旅先でコーヒーを振る舞うための準備と装備を整えていきます。

これが、フリーコーヒー自転車旅のはじまりです。

自転車で知らない土地を旅する僕は、果たして訪れる土地で人のつながりを、あたたかなコミュニティを生み出すことができるだろうか。

次回は、僕がコーヒーセットを積んだカフェカーゴバイクで、日本を1年かけて旅したお話について書きたいと思います。


「旅のおと」by Masanori Nishikawa

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現在はマウンテンバイクジャーニーのライド中なので、連載は少しお休みをいただき、次回は9月初旬の公開を予定しています。


Ft_tabinooto, 旅のおと